ゆめメモ

 右手首から直径20センチほどの大きなさくらんぼがぶら下がっていた。引き抜こうとしたが痛くて取ることは出来ず、服の袖に引っかかりとても邪魔だった。

 

 私はゴールデンハムスターを2匹飼っていた。ある日ハムスターを連れて祖母宅へ遊びに行った。1匹がしきりに外に出たがっていたため、ハムスターを持って庭に出たのだが、突然暴れ出し逃げてしまった。慌てて追いかけるがハムスターの動きは素早く、祖母の庭を飛び出し川へ飛び込んでしまった。ハムスターは溺れている。自分も川へ飛び込みハムスターを救出したが身体は冷たく、呼吸は弱々しかった。泣きながら祖母宅の石油ストーブ前でハムスターを暖めるとハムスターは目を覚ました。しかしハムスターはどんどん縮んでいき、ビー玉程の大きさになってしまった。

でかいベッド

 もしも、世界中のみんながいなくなって地球上に僕一人になったとしたら、僕は世界で一番大きくて広いベッドを使うことが出来るだろう。日本列島を覆うような大きさでも、大陸丸ごと覆うようなベッドでも、僕は一人で広々と眠ることが出来るのだ。寝返りも打ち放題だし、他人に布団を取られる心配もいらない。

 

 ただ、広いベッドに一人で横になった時僕は宇宙で一番孤独を感じるのだろう。他人の温もりの無い静かなベッドで独り、寂寥感に苛まれるのだ。宇宙の静寂に包まれて眠るくらいなら誰かと窮屈に、掛け布団を奪い合いながら騒がしく夜を明かしたいのだ。

ゆめメモ

 数日前に見たものを書くから若干記憶が怪しい…やっぱり寝起き即ゆめメモを書くべきだと思うわよ。(心の大蛇丸)

 

 起きたらとてつもない腹痛に襲われ、苦しんでいたところフォロワーがお腹をマッサージしてくれた。すると吐き気を催してしまいその場で吐いた。カラフルな虫のような生き物が沢山出てきたが私は食べた覚えがない。未消化かつまだ生きている芋虫が大量に現れ、ゾッとした。

 

以上で夢は終わり。

後日譚というか、私自身の昔話なりますが少しだけ…。

幼少期のとある朝、ぶどうジュースと白パンを食べた後猛烈な腹痛に襲われ、母親に腹部をマッサージしてもらいました。その際押された反動で気持ち悪くなり、実家の廊下にぶどうジュースで紫色に染まった未消化のパンを吐き出す事件を起こしました。吐瀉物でしたが紫色で綺麗だった事を今でも鮮明に覚えています。その時の記憶が今回の夢とリンクしたものだと私は推測しております。いやぁ懐かしい記憶。

ゆめメモ

 目が覚めるとトロッコに乗っていた。夢の国のビッグサンダーマウンテンに酷似した形のトロッコだったが、安全装置などは見当たらない。私はよく電車のことをテロコ(トロッコ)と呼ぶが、夢の中のそれは嘘偽りないトロッコだった。目の前には工場のような屋内施設が広がっており、建物中央にてボーリング作業が行われている。我々を乗せたトロッコは軋む音を立てながらゆっくりと動き出すが、小さい子供が飛び出してきたため急停車を行いながら会議室と書かれた扉の前まで進んだ。しばらく静止した後、扉が開いた瞬間にトロッコは突然動き出した。ジェットコースターのような挙動で狭い屋内を疾走するトロッコ。地面にレールがなく、時々カーブを曲がりきれず壁に激突した。私は帽子を被っていたが、あまりの勢いに帽子が飛ばされそうになってしまった。私が帽子に気を取られている間にトロッコは目的地にたどり着いたらしく、停止した。

 

 辿り着いた先は学校だった。トロッコを降りると大人達から制服に着替えるよう指示された。更衣を済ませ、体育館に向かうと見慣れた技術科の教師が学ラン姿で現れた。そこで教師の近くにいた2人の学生が教師に頭から食べられた。あまりの出来事に私含む制服の子供達は身動きが取れなくなってしまう。教師は血で汚れた口元を拭い、「いよいよ本日が卒業試験だな。君達の健闘を祈る!さあステージ裏がスタート地点だぞ!」と叫んだ。教師が学生を食べるという異常極まりない行為に気を取られていたが、中身はいつもの教師のノリで学生一同は安心した。ステージ裏に移動すると廊下には沢山の下級生の姿が見えた。卒業試験の見学、上級生の応援に来ているらしい。我々は校内にあると言われる地下の卒業試験の会場を探しに廊下を走り出した。一早く会場に着き、試験を受けたかったため階段は数段飛ばして飛び降り、廊下は自転車で爆走した。辿り着いた薄暗い給食室の手前。地下へと伸びる階段があり、給食室のおばさんが立っている。「試験は3人1組で行うんだけどあんたはラッキーだ。トップバッターだよ、あんたが3人目。」と受験票を渡された。

 

 暗い階段を降りていくと全て石でできた異様な空間が広がっていた。地下のはずなのに上から光が差し込んでいる。光は中央にある石の塔を照らしていた。間違いなく100m以上の高さがあるだろう。校内にこんな場所があったとは知らず、じっくりと周りを眺めたい気持ちもあったが兎に角試験を早く受けて合格したかったため、石の塔を囲むように出来ている階段を数段飛ばしで駆け上がった。自分は割とせっかちなのかもしれない。踊り場に辿り着くと2人の同級生の姿が見え、笑顔で手を振った。近くには石の椅子に腰掛ける人物が見える。それは小学校4〜6年生の時の担任、S先生だった。先生は頭がフランシスコザビエルのような禿げ方をしており、時折子供達から「ザビエル」と陰口を言われていたが、今日のS先生はまさにザビエルといった聖職者風の正装を纏っている。先生は「これから3人で4畳半の迷路に挑戦してもらう。制限時間は480秒。3人ともゴールしたら終了だ。」と手短にルールを説明し、我々に作戦会議の時間をくれた。扉を開くと4畳半の迷路が広がっているらしいが、そんな狭いところに迷路など作れるのだろうか。しかし先輩方の噂でこの4畳半にて行方不明になった人がいると聞いた事がある。取り敢えず我々3人ははぐれないようくっついて移動する作戦を立て、扉を開いた。辺り一面畳が広がっており、間違いなく4畳半以上の広さがある。ゴールは見えなかった。端を目指せばゴールがあるだろうと、がむしゃらに走ったがゴールは見えず、あっという間に480秒経過していた。ゴールできなかった我々は4畳半の見える薄暗い檻に入れられ、次の挑戦者を待つことになった。

ゆめメモ まとめ編

 今年夏〜現在に至るまでのゆめメモの下書きが溜まっていたのでこの場で供養します。

誤字乱文許してクレメンス。

 

 ショッピングモール編

ショッピングモールを一人徘徊していると小綺麗な服装の女性がショーウィンドウに釘付けになっていた。店員と熱心に話をしている。近くで息子と思わしき男の子が退屈そうに床にしゃがみこんでいた。気になったので遠くから眺めていると「そんなにお腹が空いたのなら一人で行ってくればいいじゃない!私は忙しいの、どっか行って!」と女性の怒号が聞こえてきた。男の子は号泣しながらあてもなく駆け出した。私は慌てて男の子を引き止め、その子の手を繋いで母親の元に行き「私、今時間があるのでこの子とご飯を食べに行っても良いですか?ア、怪しいものではないです…!私もお腹空いているので…。」と不審者ムーブをかます。どう考えても怪しまれそうだったが、母親は「いいわよ、これ連絡先。お店から出たら連絡して。」と承諾してくれた。高圧的な態度に恐縮しっぱなしの僕は終始男の子の手を強く握りしめ、手掌には手汗が滾っていた。男の子に「何食べたい?」と聞くと小声で「ハンバーグ。」と返ってきたので、さわやか(ハンバーグ店)に行く事にした。現在地が静岡県か否か、夢の中故定かではないが、私の中でハンバーグならさわやかしかないだろうという確固たる思いがあったのだ。ショッピングモール内のさわやかへと向かったが、レストラン街への通路が封鎖されていた。別のルートを探そうとした瞬間足元が崩れ、気がつくと瓦礫の上にいた。男の子は瓦礫に挟まれ、すでに呼吸は止まっている。その場で呆然としていると母親が現れ、「うちの子になんて事を!どっか行って!」とヒステリックに喚き散らした。

 

 

 オペラおばさん

 学校にいたので夢の中の私はおそらく学生だったのだと思う。窓から見える空の色は紫色で気味が悪かった。全校集会が体育館で行われるとのことでクラス別に体育館への移動が始まっているところだった。自分の教室も教師から移動の指示が出たため、体育館に向かう。道中誰かの歌声が聞こえてきた。体育館への渡り廊下は何人もの生徒が倒れ込んでいる。私は生徒の屍を乗り越え体育館の重い扉を開いた。すると中には他の生徒の姿は無く、大柄な中年女性が佇んでいた。女性は私と目があった途端歌を唄い出した。日本語ではない、イタリア語かな?まるでオペラ歌手のような堂々とした立ち振る舞いで聞き惚れていた。しばらくすると気分が悪くなり、体育館から出ようとした。すると女性は宙を舞い飛びかかってきた。なんとか扉を押さえたところで夢から覚める。よくよく考えるとその女性、モデルは高校時代の顧問だったと思う。

 

 

怪しい山

 目が覚めると僕は手足を縛られた状態でベンチに寝そべっていた。バス停らしいが当たり一面山しか見えず、どこにいるのか全く見当がつかない。頭をどこかで打ち付けたのか、頭痛が酷かったためそのまま横になっているとボロ布を纏った男がやってきた。「おや、外の方ですか…誰かに連れてこられてしまったみたいですね?」手早く手足の紐を解いてくれた。「見つかったのが私でよかったですね、ここは人殺しの村なんです、余所者は殺されます。一刻も早く出ないとあなたも殺されるでしょう。特にキツネのような目をした女と会ったが最後…。ある宗教団体がこの村を操っているのです。狂っている…。」僕は身の危険を感じ、このまま歩いて山を下りますと男に伝えた。すると男は「山全域が村なので途中で私のように他の村民に見つかって捕まるでしょう。ここは村長に相談をした方が良い、村長は毎日決まった時間に山を下るので村長の車に乗せてもらえるよう私からもお願いしておきます。」男の協力の元、村長と私で車に乗り込み、いざエンジンをかけた瞬間、車窓からキツネのような目をした女が覗き込んできた。その瞬間僕は死を覚悟した。女は固まった笑顔のまま「村長のお客さんでしたか、気をつけておかえりを。」と一言残し、どこかへ去っていった。村長も顔が引きつっている。そのまま村長とは一言も会話をせず山を下った。車から降りると村長から「次はない。二度とここへ来てはいけない。」と言われた。

 

 

東京と似て非なる異郷

  共にいたフォロワーが布団を被ったまま身動きが取れなくなり、40.8度の熱を出したため病院に行かねばと慌てて2人で外に出た。屋外は激しく吹雪いており、歩いて向かうのは不可能と判断した。この世界に電車はなかったため、首都高速道路で病院に向かおうと思ったが、道路の一部区間が寸断されており、通行禁止状態になっていた。我々はやむなく仮設立されたロープーウェイに乗り込んだ。吹雪のせいで激しく揺れたため私も段々気分が悪くなる。降車駅に辿り着くと私は吐いていた。気分不快から立ち直った頃辺りを見回すと、共にいたフォロワーの姿が無い…慌てて走り出した。気がつくと伊勢丹の中のガチャガチャコーナーに迷い込んでいた。

街並み

お気持ちを投げるだけ、誤字乱文御許し下さい。

 

 街中の木々を眺めていた。熟れた葉は地に落ち、寒々しく細い枝が天に向かって伸びている。街並みに合わせ剪定された枝、巻きつけられたイルミネーションのコード。街の姿に合わせて木々も元ある姿から変性していた。街に生きる事とはそういう事なのかもしれない。植物に感情は無い。ただそこに在るだけなのだろう。私はその木の在り方に悲しみと切なさを覚えた。私は人間だ、これからも街で生きていくだろう。しかし街中に伸びる木々のようにはなりたくないと胸に誓った。

金木犀、秋の香り

 台風19号が過ぎ、建物の隙間から見える澄んだ青空と少しひんやりした空気を肺に取り込み、夏の死を感じていました。何だかんだ10月に入っても暑い日々が続いたしナ…。これからようやく涼しくなる事でしょう。

 

 半袖だと少し肌寒くなった秋、登下校時に香る金木犀が僕は大好きです。金木犀の甘い匂いを嗅ぐと、いよいよ秋が来たんだなあと感じます。そういえば今年はまだ金木犀の匂い嗅いで無い…まだ咲いてないのかな、とふと思いインターネットの海で調べたところ開花時期は9月中旬〜10月下旬とのことでした。ツイッターの民からも金木犀の匂いの報告が相次いでいます。今年まだ僕が金木犀の匂いを感じていないのは、夏に家出し、現在の居住区域の近くに金木犀がないだけなのかも…。あとほぼ毎日引きこもっているし…。 今日はお布団の中から金木犀の事に想いを馳せる日とします。

 

 金木犀の学名は「Osmanthus fragrans Lour.
var. aurantiacus Makino」です。学名なんて普段僕は気にも留めないけど、最後にMakino…(牧野!?マキノサン!?もしかして日本人!?)が付いていて思わず調べてしまいました。このMakino、日本の植物学の父といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威、牧野富太郎氏に因むものらしいです。春先に紫の可愛らしい花を咲かせるオオイヌノフグリ(犬の陰嚢の意)(名前が少し破廉恥)もこの方が名付けたそうで。大犬のふぐり…。デカタマ…。Osmanthusは「モクセイ属」、fragransは「芳香のある」、aurantiacusは「橙黄色の」を意味するらしい。「名は体を表す」人間に限らず、事物の名乗りにも、その実体が表れていることばかりでこの世は面白い。

 金木犀の別名は丹桂、桂花、踏音開言花(フミエエコトバナ)。踏音開言花、かっちょよすぎない?神道における呼び方らしい。意味合いとしては金木犀の香りに惹かれて人間が近づくときに足音が鳴る(踏音)、その音に共鳴して、金木犀が「生命力新生増強の世界」を開く(開)というもの。暑い夏を過ごして疲れた人間の体を、甘い香りで回復させる、ということのようです。ありがたい存在よね〜。人間は身近にある自然から力を得ているんやな〜。

 ちなみに金木犀は雌雄異株で日本にあるものは殆どが雄株。挿し木で増やすしかないんだとさ。ドキッ!男だらけ♂の金木犀だ…。

 気がついたら字数1000字超えてた。花言葉とかも調べたいな〜、創作に役立つので。

ほな、また。金木犀の香りがあなたに力を授けますように。