空っぽの夢の独り言

来たる低気圧に備え、アネロン(酔い止め)内服し定時の就眠前薬も飲みましたが、どうも思考が止まらず記事を書いた次第であります。起きてはいるものの、ほぼ脳の機能が止まった状態で書いているので誤字脱字はお許しください。

思考をただ書き連ねただけなので読みにくいと思います。物好きな方はどうぞ。

 

人は永遠に孤独です。自分の気持ちは自分自身にしか分からない。これが現実で1番残酷な事実です。その為、己の表層の感情を勝手に解釈されて見当違いな共感をされるよりかは誰にも理解されず、自らを永遠に慰めた方が精神衛生上良いのではないかと思ってしまいます。個々の壁を打ち破る事は出来ないんです。ただ、相手の思いを傾聴し寄り添う事は出来ると信じています。自分自身そうしてもらって救われた経験が沢山あります。

 

感情の置き場に困る時があります。爆発的に溢れ出た感情の処理が間に合わない上に、どう処理すれば良いのか分からず更にパニックになってしまうのです。吐き出そうにも上手く伝えられず、伝えた挙句相手を傷つけてしまう事を恐れて何も言い出せなくなってしまう事が多いです。また、感情の渦に囚われた時、自ら意図しない発言をしてしまうことがあります。完全にその場の感情だけで発言しているため、後々酷い自己嫌悪に陥ります。この負のループを断ち切るべく、爆発的感情を根本的に抑える方法を現在模索中です。具体的には投薬治療中ですが、未だ奏功しておりません。

 

幻聴ではないと思いますが、時折頭の中に人が住んでいるように錯覚を起こす事があります。自分がネガティブな思考の時、更に負の感情を増長させる声かけをしてくる自我が存在しているのです。この自我は普段は薄く漂うだけですが、ネガティブ思考に陥った時に感情全てを覆い隠し、それ以上の思考の邪魔をします。

「そんなに生きる事に悩むくらいならいっそ生きる事を放置すれば良い。死ねば楽になる。」この言葉からはある種の優しさを感じます。幼き日に母から言われた言葉にも似ています。「そんなに学校に行きたくないなら辞めれば良い。」と。自分はどうしても白か黒か、0か100かの思考に陥りがちです。中途半端でも良いと思いつつも、どちらかハッキリさせないと気が済まない自我が存在しているのです。Aと思いつつBとも思う、自己の思考に板挟みになる事で生きにくさが増長しているように感じます。